先日、サクラヤジャズクラブで
ワークショップを担当させて頂いて、
自分の中で課題が出来ました。

まだこのワークショップをキッカケに
『初めてアドリブが出来た』という方が
何人もいらっしゃるのですが、

特に先日は本当に気持ちよさそうに、
幸せそうにアドリブをなさっているのです。

『アドリブなんてとんでもない今日は見るだけで』
と初めは遠慮なさっていた方々が、

目をつぶって音楽に浸りきり、
まるで陶酔するかのようにアドリブに夢中になって、
終った頃には頬を紅潮させ

『今日は本当に楽しかったです!』
と仰った。

こういう『音楽の素晴らしさ』を純粋に感じている人たちに、
私はこれから
『ダイアトニックコードとは』とか
『ドミナントモーションとは』とか
小難しい理論なるものを
教えていかねばならないのだろうか?

アドリブという自由を謳歌している人々へ
『ルール』や『規制』を
強いなければならないのだろうか?

参加者が満足そうに演奏している姿を見ながら
私は秘かに悩んでおりました。

セロニアス・モンクは言いました。
『Jazz and Freedom go hand in hand.』
ジャズと自由は同義です。

演奏に於ける自由とは?
そもそも『自由』とは?

ルールが少ない事?

ルソーは
『人間は生まれながらにして自由』
と言い、
ヘーゲルは
『世界史とは自由の意識が前進していく過程』
と言いました。
なんかよく解りません(笑)。

英語の『Freedom』とは
『大らか』とか『わがまま』のような
能動的ニュアンスがありますが
『Liberty』は
『制約、制限が無い』という受動的意味合いです。

モンクに戻ります。
サクラヤのワークショップでも触れたのですが、
アメリカの公民権運動にジャズやブルースは
少なからず影響を与えました。
キング牧師の運動を黒人ミュージシャンは支援しました。
彼らこそ、常に音楽と言うフィールドで
自由を標榜し、日々戦っている人たちだったからです。

インプロヴィゼイションに於ける自由とは何か?
コード進行の縛りが無い事?
その行き着く先は『フリージャズ』です。
ジャズのメインストリームではありません。

では現代のジャズの第一線は何を志向しているのでしょう?
先日、来日して素晴らしい演奏を聴かせてくれた、
現代ジャズの巨匠、ハービー・ハンコックと
ウェイン・ショーターの演奏は所謂『フリージャズ』でしょうか?
違います。
彼らの演奏はコードもリズムも非常に複雑で
楽曲の難度も演奏クオリティも極めて高度ですが、
信じられないほど『自由』なものです。

彼らが教えてくれている『自由』とは何でしょうか?
それは如何なる局面、境遇に於いても、
自らの英知と技術を駆使して、
自分の信じた音を表現し、指標を示し、
共演者の共感と理解を獲得し、その世界を創造していく事です。
そしてその音楽は聴衆をも巻き込んで
共に新しい音楽、世界観、ビジョンを共有します。
彼らにとって自由とは創造の源泉であり、
創造過程のスタイル、メソッドでもあります。

ゆえに演奏に於ける真の自由とは、
『英知と技術によって自らが獲得するものだ』
と言えるのでしょう。
公民権運動がそうであったように。

さらに時にはルールより大事なものが有るのなら
ルールは二の次で良い事もあるかもしれません。
音楽には好き嫌いはあっても正解が無いのです。

モンクのように自分の表現したい音が、
ピアノという規制や当時の音楽理論に縛られて
表現できないのであれば
半音隣り合った音を同時に『不協和音』として
弾いてしまうという挑戦もするべきなのです。

子供は初めから文法通りの言葉は話せないかもしれません。
でも、初めから文法の正確さを要求したら、
失敗を恐れて話さなくなってしまうかもしれません。
クラシック出身の人がなかなかアドリブの一歩を
踏み出せないのは完璧さを意識しすぎ、
ミスを恥と思うように洗脳されているからです。

ジャズと言う新しい言語をマスターする為には
初めはルールを緩くして、何が言いたいのかを明確にして
極力単純に考えて、自由に表現させるのが第一段階でしょう。
次の段階は、十把一絡げの画一的な理論や手法を強制するのでなく、
その人その人の音楽観、世界観に合った理論、アプローチを見極め、
それを順序良く提供、提案していく事が、
その人の『スタイル』を構築する良き選択、早道となるのだと思います。

誰もが同じフレーズ集を覚えたらクローンロボットです。
『For You』の数だけのメソッドが必要です。
ワークショップを終え、そのような結論に達したので、
また新しい教本を書いてみたいと思います。
これは今までの日本には無いタイプのモノになると思います。 
乞うご期待!