2年前、私はベースとデュオのライブをやりました。
脳卒中の後遺症で即興演奏が以前のように出来なくなり、
私はもう人前での演奏を諦めかけていたのですが、
幸運な事に、世界的に著名なある2人のジャズミュージシャンから
『ライブをやりなさい』
『決して諦めてはいけない』
とアドヴァイスをいただいたのです。

アドリブができない事に加え、通常の楽譜がありきの演奏でも
まだ半身マヒが完治していない私は
以前のようなクオリティでプレイできるか不安でした。

さて、私は悩みました。
アドリブをしないライブをジャズライブと言えるのか?
何を持ってお金を頂く資格があるのか?
恥ずかしい事にわからなかったのです。

裏を返せば、『アドリブさえやればジャズだ』
と短絡的に思っていた自分に今さら気がついたのです。
ライブを決めたものの、私の悩みの答えは
なかなか見つかりませんでした。

演奏する曲はジャズスタンダードにする訳にもいかず、
『昭和歌謡』と逃げました(笑)。

そして曲目の1/3はオリジナルそのまま、
1/3はジャズっぽいアレンジで、
1/3はアドリブを少々やる。
というコンセプトにしました。

少々のアドリブさえ本当に出来るのか
全く自信はありませんでしたが、
アドリブを期待していらっしゃる人もいるであろうと配慮し、
自分を追い込んだのです。
『恥さらし』になってしまうリスクをあえて選びました。

アドリブ無しのライブに商品価値はあるのか?
この答えを私は自分の教室のクラシック系の講師に聞きました。

彼女達は『それは努力して演奏に自信を持つことです』と
一様に答えました。

答えになってるようでなっていないような(笑)
私は余計に解らなくなりました。

技術の追求か?それにゴールなんてあるのか?
技術に人は金を払うのか?
プロの音楽とは技術なのか?
だとしてもマヒした左手と口と舌と喉で技術を追求できるのか?
答えは見出せないままでした。

とりあえず、楽譜通りの曲は何度も何度も必死に練習しました。
肉体的に出来ないと箇所は楽譜を手直ししました。

アドリブの箇所は瞬間的に筋肉が反応できないため、
今までよりも早いタイミングで思考する訓練をしました。
1秒先では無く3秒先を予測し、浮かんだフレーズのうち、
右手を主に使うフレーズのみプレイするフィルターを
脳内に設置しようと試みました。

アドリブ無しのジャズミュージシャンに
お金を払う、払わないの境界線が解らないまま
本番を迎えました。

ライブが終った私は本当に申し訳ない気持ちと、
悔しさと屈辱感でその場から立ち去りたい気持ちでした。

しかし、お客様からは意外にも
『良かったですよ』との声を頂きました。
モチロン200%お世辞だと思いますが、
良かったと言われた曲はアドリブ無しの曲だったのです。
もしかしたらアドリブが余りにもひどかったからかもしれませんが(笑)
『また聴きたい』とも言われたのです。

不思議に思った私は後日、あるジャズシンガーに訊きました。

『アドリブのスキャットをしない曲を歌う時、
何を持って私の歌はジャズと言い切れますか?』

随分と失礼で、突っ込んだ質問をしたものですが、
それが私の探している答えだろうと思ったからです。

そのジャズシンガーは言いました。

『私の歌を聴いて、お客さんが体を動して、ハッピーに見えたらそれがジャズよ。』

なるほど。
ジャズ-アドリブ=
答えが解ったような気がしました。