さて前回の記事をざっくり復習(とちょっと加筆)すると…

1910年代までのニューオリンズジャズ(アーリージャズ)は
『March』由来であった為、『ドンチャドンチャ』と
歩くようなビートが基本でしたので
『ドン』が足を地につけた時で
『チャ』がもう一方の足のかかと地から離れる時の為
さほど跳ねないイーブンに近い8分音符でした。

これが1920年代になるとメディアに乗って
『For Entertainment』『For Sale』となり、
楽しくにぎやかで気分も弾むようなバウンス感が増して
8分音符はやや3連符に近いものが多くなってきます。
(もちろん全部じゃありませんよ!傾向性です。)

そして1930年代でビッグバンド黄金時代、スィングジャズの到来です。
8分音符は『For Dance』つまりステップの為にほぼ3連符のノリになります。
(ノーバウンスのイーブンのタップダンスって有るんでしょうかね?)
人はステップやジャンプを繰り返すと滞空時間があるので物理的に
大概3連符になるものです。

はい、ここまでがおさらいです。
今回のテーマは1940年代に起こったジャズ史上において、まあまあな出来事(笑)
『ビバップ革命』です。あえて『革命』と言ってみました。
カンザスシティからニューヨークにやってきた天才チャーリー・パーカーは
それまでのジャズに大きな革新をもたらします。

それまでのジャズに於けるアドリブはサッチモなどに見られるように
テーマを元にそれを徐々に崩し、変化させていくようなやり方でした。
コールマン・ホーキンスやレスター・ヤング、ドン・バイアスも
メロディとは違ったフレーズをプレイしましたが
まだメロディから想像しやすいようなアドリブのフレーズでした。

今回はグルーヴの話ですので理論的に詳細な解説はしませんが、
メロディーもアドリブも筑前煮とがめ煮のように
『同じ和食』と感じられるテイストでした。

パーカーは例えるならばそれに
『赤ワイン』的なものや『カレー粉』的なものを投入したのです。
アドリブで使われる音の可能性を拡張したのです。
それまでは『不協和音ですよ』といわれていた音まで
使い方によって『全然アリじゃん』としてしまったのです。

『バードが音楽の話をしたのを聞いたのは、たった一度、
奴がコードネームのことで俺のクラシックの友達と口論した時だけだ。
その晩、バードがコードなんて何でもいいんだって言ったから、俺は反論したんだ。
「B♭のブルースの五小節目にDナチュラルは使えないね」と言ったら、
バードは「いいや、使えるね」って言ったんだ。
ところが、ある晩”バートランド”でレスターヤングがそれをやっているのをきいたら、
ちっともおかしくなかった。もっとも音をベンドしていたがな。』

マイルスデイビス談

という事でパーカーやその盟友ディジー・ガレスピーが成し遂げた
『ビバップ革命』はジャズをエンターテインメントから
よりアカデミックに難解で高尚で、技術的にも高度なものに
一気に引き上げました。
この時代のジャズマンは昼間はダンスホールで同じ曲を何度も演奏し、
その退屈さの鬱憤晴らしも兼ねて、仕事が終ると夜な夜なバーに集まり
即興の腕を競ったのです。
参考動画↓


それはミュージシャンのプライドと腕をかけた真剣勝負でした。
ゆえに演奏される曲はテンポはどんどん速く、コードはより難解になり、
プレイヤーの知能と身体能力の限界に挑戦するが如く進化して言ったのです。
もちろん、そのトップをぶっちぎりで走っていたのは
チャーリー・パーカーでした。
彼はそれまでのジャズを再構築しました。
ジャズを娯楽の提供から
『音楽とミュージシャンの肉体との合一を目指す競技』に
変えてしまったのです。

ジャズの肉体化とでも言えるでしょうか、
言葉よりさらに抽象的な次元の音そのものを
フレーズをテクスチャーとして用いて
自分の脳内イメージを具現化します。
パーカーが『建築家』と呼ばれるのもこの
ジャズの再構築の偉業によるものです。

ビバップ革命によりジャズは
『For Art』であり 『To Musician』と成りました。
パーカーの音楽は批評家には評価されましたが
一般大衆には到底理解されなかったのです。
ミュージシャンが自分の自己表現だけの為に演奏した音楽で
踊りたいなんていう人はいないでしょう。

ですから速くなったテンポで無理矢理8分音符を
不自然に3連符でプレイしなくても良いのです。

その8分音符のイーブン化現象は習慣となり、しだいに
50年代以降ポスト・バップ、ハード・バップ期に至っても
遅いテンポでもイーブンでプレイするようになりました。
その理由や、変化に関しては余り言及している人は少ないので
この機会に私の説を発表しようかと思うのですが
長くなったので続きは次回に譲ります。