渦男のジャズ道場

八王子の音楽教室ミュージックサロンア・ミューズのサックス講師 網 渦男のブログです。 サックスに関すること、ジャズに関することなどをまとめております。(旧さきこら)

カテゴリ: 日記&コラム

前回の記事は
『果たしてジャズファンはジャズミュージシャンのライブやCDの
何に対してお金を支払っているのでしょうか?』
というジャズファンの
「CSI=Customer Service Index(顧客満足度指数)」
の問題でした。

そして近い将来のジャズマンとは
『脳内のチップによりクラウドから大量のフレーズをダウンロードしたAI拡張型ジャズマン』
というかなりSFチックな存在となることを提示しました。

そう考えるとクラウドは共有しているわけですから、
そこからどんなフレーズをチョイスし、脳内バッファに貯蔵するか?
というセンス、好みの問題と、それを再現できる技術の問題となります。
もしかしたら神経伝達回路を加速し強化するような化学物質も出来るかもしれません。
『ユビマワール…演奏前に1錠飲むだけで高速で指が回ります』みたいな(笑)

技術もフレーズも大差が無いジャズマンのマーケットで
ジャズファンは何を期待するのでしょうか?
実はこの問題は現在でも同じかもしれませんね。

ただし『即興演奏が天賦の才能や膨大な訓練によって可能となる』
という概念がなくなるだけです。

そうなると即興の無いクラシックやポップスのミュージシャンと
ほぼ変わらないマーケットになっていくでしょう。
ジャンルがジャズなだけ。
そこで行われる『即興演奏』は普通の音楽ファンにはさらに難解、緻密になり、
敷居は上がりますが。
認知度という尺度で考えれば、
ベートヴェンやモーツアルト、コンチェルト、シンフォニーを良く知らないとか、
ラップで何言ってるか解らないとか、
AKBのメンバーの名前を知らないのとさほど変わらない問題かもしれません。

果たしてジャズファンは
高度で難解な即興演奏をたたえるのでしょうか?
それとも圧倒的な演奏技術をたたえるのでしょうか?

クラシックファンは『楽曲』、『楽団』、『指揮者』の
どれにお金を払っているのでしょう?

ロックファンやAKBは『楽曲』『メンバー』『コンサートの雰囲気』の
どれにお金を払っているのでしょう?

もしもジャズプレイヤーの演奏が
フレーズも技術も皆、似たり寄ったりだったら
聴衆は何を期待する?

結論は簡単には出ませんね。
頭がウニになってきたのでここらで一休み。
こんなものを聴いてみましょう。



高校生のこの歌声。
私は心が洗われました。
言葉がグサグサと心に突き刺さり、
知らない間に垢のように付いてしまった
私の心の汚れを砕いてくれました。

カタルシス(浄化)――――――。
これが人が音楽を求める目的の1つかもしれません。
聴く人が意識もしていない抑圧された感情を
声や楽器の音で振るわせ、解かしていく。

その点においてはジャズもブルースも、
クラシックもポップスも
同じだと思います。

それはAIには出来るでしょうか?
クラウドからダウンロードされたフレーズで
冷たく凍った心は溶かせるでしょうか?

何年後かのジャズミュージシャンは
何を伝えるか?ではなく、
どのように伝えるか?
それが1つのキーになってくるのではないでしょうか?

















前回の記事は
タダでさえ厳しいジャズミュージシャンはAI時代が来てなお食っていけるのか?
と言う命題を解くためにまずジャズシーンにおけるCSI問題
を取り上げたところで終りました。

さあ、果たしてジャズファンはジャズミュージシャンのライブやCDの
何に対してお金を支払っているのでしょうか?

と、その前に前回の記事で
『シンギュラリティ』ではどんな新しい職種が生まれるのでしょうか?と言う疑問に対して
『2つの意見があります』と言いながら1つ目の紹介で終ってしまいました。
1つ目は『新たな職種は生まれない。』という悲観的な意見でしたね?

ではもう1つの意見を紹介しましょう、それは…
AIと人間が敵対、競合せずに『人間がAIを組み込む』と言うものです。
つまり、人間の脳がAIの巨大なクラウドにアクセスすると言う事です。
まるでSFですが前回の記事で紹介したカーツワイル氏自身が言っているのです。
テスラモーターズのCEOのイーロン・マスク氏は既に
脳に直接コンテンツをアップロード/ダウンロードできる埋め込み式電極(チップ)を
開発する企業「Neuralink」を立ち上げています。
彼の夢は火星にコロニーを作るだけではなかったようですね。

我々は一種の端末として、人類の英知をはるかに超えたAIクラウドに
アクセスする事(つまりAIを拡張機能として利用)により、
AIと競合関係でなく共生関係を築くという選択をすると言う事です。

そうです。もう勉強しなくてもいいのです。
数学の公式や 英語の構文、歴史年表も各国の首都も覚える必要はありません。
計算すらしなくていいのです。全部クラウドからダウンロードすればよいのです。

ジャズを学ぶのも簡単です。理論もクラウドにアクセスすれば、
いくらでも瞬時に学べます。そう、あれほど覚えられなかったたくさんの
ツーファイブフレーズも何度も反復して暗記しなくていいのです。

…となると…にわかにジャズミュージシャンが大量発生しそうですね(笑)
食える食えない、プロ、ノンプロは問わず大量にプロ並のスキルを持った
ジャズミュージシャンは増えるでしょう。

さて、そこでCSI問題です(笑)。
同じフレーズをダウンロードした大量のジャズミュージシャンの中で、
プロとしてコンスタントに集客し、ファンを増やせるミュージシャンは
どんなミュージシャンでしょう?

やっと本題に入ったところで次回へ続きます(笑)。













昨今、AIの技術革新により、
『仕事がなくなるんじゃないか?』とか
『ターミネーターみたいにAIに人類が滅ぼされるんじゃないか?』とか
『未知なるもの』に対して『無知なるもの』が
ビビッてしまうという状況がございます。

2045年にはAIの頭脳が人間に追いつく(追い越す)、
いわゆる『シンギュラリティ』問題が到来します。
これはターミネーターが街を闊歩するような
SF、オカルト時代と言うわけではありません。

よく言われるのは、
『AIやロボットで出来るような仕事は無くなる。』と言う事です。

いわゆる情報処理的な仕事(事務、経理、税理士)から
小売業、営業職、物流のドライバー、タクシードライバー、
接客業全般、コールセンターの案内係、教師、介護士など
かなりの範囲に渡ります。

これらの予測はかなりの高い確率で残念ながら的中するでしょう。
未来予測で定評のあるオックスフォード大学のM.オズボーンの予測ですから。

2045年まで働ければいいやと言う人は構いませんが、
それ以降も働いて生活しなければならないという人は困りますよね。
死活問題です。

さらに言えばこれらの仕事は2045年にいきなり無くなるわけではありません。
既に今現在も少しずつなくなっているのです。

某大手物流企業の倉庫では荷物の仕分けと積み込みはロボットがやっていますし、
ファストフードのレジは自動になって来ています。
アパレルは店舗販売だけでは利益が上がらなくなり、
多くはECショップでの売り上げに頼らざるを得なくなっています。
車の自動運転走行が法律でOKになれば、タクシー運転手は職を失うでしょう。
介護ロボットも多く開発されています。
ニューヨークではAIのシェフが顧客のデータベースを元に
その日の体調や、好みに合った料理を作ってくれるレストランも既にあります。

まともに一般企業で働いた事もない負け組みの私などは、
食えなくなったらどんな業種に転職しようかと現時点で不安なのに
その選択肢も狭められるなんて!とお先真っ暗でございます。

AI vs 人間という図式は避けられないのでしょうか?
産業革命の時代、機械化により力仕事に従事していた人の多くは職を失いましたが、
一方で機械をコントロールしたり整備したり作ったりする職業が生まれました。
それでは今回の情報技術革命『シンギュラリティ』では
どんな新しい職種が生まれるのでしょうか?
2つの意見があります
1つはAIのディープラーニング(自己学習)により新たなイノヴェーションは
AI自らが猛スピードで成し遂げていくので人間の出る幕は無く、
新たな職種は生まれない。
多くの人は産業革命とこの度の『シンギュラリティ』の意味は
根本的に違うと主張しています。この説が正しければ、
残念ながら新たな雇用の創出は難しいでしょう。
AIやロボットは単純作業や情報処理だけかと思いきや、
新しいものを作り出すことも出来ます。

未来予測を86%以上の確率で的中させてきたGoogleの技術部門ディレクターでもある
レイ・カーツワイル氏は
『人工知能が創作活動を人間と同じくらいにできるようになるのは時間の問題だ』
と言っています。

ここでそろそろ本題。
ではジャズミュージシャンは職を失うか?

この命題を解くにはそもそもお客はジャズの何に対してお金を払っているのか?
と言うジャズシーンにおけるCSI(Customer Satisfaction Index)的な
問題を解かなくてはなりません。顧客満足度と収益の問題です。

話がマーケティングみたいになってきたところで次回に続きます(笑)












2年前、私はベースとデュオのライブをやりました。
脳卒中の後遺症で即興演奏が以前のように出来なくなり、
私はもう人前での演奏を諦めかけていたのですが、
幸運な事に、世界的に著名なある2人のジャズミュージシャンから
『ライブをやりなさい』
『決して諦めてはいけない』
とアドヴァイスをいただいたのです。

アドリブができない事に加え、通常の楽譜がありきの演奏でも
まだ半身マヒが完治していない私は
以前のようなクオリティでプレイできるか不安でした。

さて、私は悩みました。
アドリブをしないライブをジャズライブと言えるのか?
何を持ってお金を頂く資格があるのか?
恥ずかしい事にわからなかったのです。

裏を返せば、『アドリブさえやればジャズだ』
と短絡的に思っていた自分に今さら気がついたのです。
ライブを決めたものの、私の悩みの答えは
なかなか見つかりませんでした。

演奏する曲はジャズスタンダードにする訳にもいかず、
『昭和歌謡』と逃げました(笑)。

そして曲目の1/3はオリジナルそのまま、
1/3はジャズっぽいアレンジで、
1/3はアドリブを少々やる。
というコンセプトにしました。

少々のアドリブさえ本当に出来るのか
全く自信はありませんでしたが、
アドリブを期待していらっしゃる人もいるであろうと配慮し、
自分を追い込んだのです。
『恥さらし』になってしまうリスクをあえて選びました。

アドリブ無しのライブに商品価値はあるのか?
この答えを私は自分の教室のクラシック系の講師に聞きました。

彼女達は『それは努力して演奏に自信を持つことです』と
一様に答えました。

答えになってるようでなっていないような(笑)
私は余計に解らなくなりました。

技術の追求か?それにゴールなんてあるのか?
技術に人は金を払うのか?
プロの音楽とは技術なのか?
だとしてもマヒした左手と口と舌と喉で技術を追求できるのか?
答えは見出せないままでした。

とりあえず、楽譜通りの曲は何度も何度も必死に練習しました。
肉体的に出来ないと箇所は楽譜を手直ししました。

アドリブの箇所は瞬間的に筋肉が反応できないため、
今までよりも早いタイミングで思考する訓練をしました。
1秒先では無く3秒先を予測し、浮かんだフレーズのうち、
右手を主に使うフレーズのみプレイするフィルターを
脳内に設置しようと試みました。

アドリブ無しのジャズミュージシャンに
お金を払う、払わないの境界線が解らないまま
本番を迎えました。

ライブが終った私は本当に申し訳ない気持ちと、
悔しさと屈辱感でその場から立ち去りたい気持ちでした。

しかし、お客様からは意外にも
『良かったですよ』との声を頂きました。
モチロン200%お世辞だと思いますが、
良かったと言われた曲はアドリブ無しの曲だったのです。
もしかしたらアドリブが余りにもひどかったからかもしれませんが(笑)
『また聴きたい』とも言われたのです。

不思議に思った私は後日、あるジャズシンガーに訊きました。

『アドリブのスキャットをしない曲を歌う時、
何を持って私の歌はジャズと言い切れますか?』

随分と失礼で、突っ込んだ質問をしたものですが、
それが私の探している答えだろうと思ったからです。

そのジャズシンガーは言いました。

『私の歌を聴いて、お客さんが体を動して、ハッピーに見えたらそれがジャズよ。』

なるほど。
ジャズ-アドリブ=
答えが解ったような気がしました。


レッスンの受講生からこんな質問を受けました。

『シトウさんの教材って
 何でジャズ道場っていうタイトルなんですか?』

『え?なんでダメかな?』

『まー、ダサいっすね』

『や、やっぱり?』

『ですね。』

そうなんです。
なんか、もっとカッコイイタイトルも考えたのですが(笑)、
実は私、小3から中2まで柔道やってたんですよね。
それで柔道の稽古で
『打ち込み』と『乱取り』ってのが有るんです。
『打ち込み』は技の形、体の動作を正確に繰り返すのです。
初めはゆっくり正確に、慣れたら素速く。
で、一連の動作が流れるように一瞬で出来たら
『乱取り』に入ります。
『乱取り』は試合と同じように組んで体裁きをしながら
技をかけるタイミングをつかみます。
かける方とかけられる方を交代しながらの実践的訓練です。

私のレッスンもこの要領でやってます。
初めはコードやスケールをメトロノームに合わせてプレイ。
この段階は音を間違えないよう正確に、
またタイムやアーティキュレーションにも配慮します。

次にカラオケに合わせて入るタイミングを変えたり、
フレーズ自体のリズムを変えたりして
グルーヴの違いを感じてもらったりします。

慣れたらそのフレーズの活用形も派生的に覚えてもらって
サウンドの違いを体験してもらいます。

ここまでは『このフレーズをプレイしてください』
と決めてやる訓練です。

次に『自由にどうぞ』と言ってカラオケを流します。
ここで練習の成果が縦横無尽に出せればOK。

『自由に』の意味を誤解している人は
せっかく練習でやった事をやれません。
『自由に好きなようにプレイする』と言うと良く聞こえますが、
それは『練習前の自分という呪縛を解けない状態』でも有るからです。
『自由』なようで変化に対応できない『不自由』な状態と言えます。
ジャズはスィングジャズ→ビバップ→モード~
と時代によって進化してきた音楽です。
“Jazz and Freedom go hand in hand.”
セロニアス・モンクの言葉です。

レッスンの度に、地道かも知れませんが
自分の表現手段を拡大し自分が進化する過程を
自分を褒め讃えながら楽しんでいただければ幸いです。

私の教材の紹介→http://www.a-muse.jp/textbook/
















昨日で本年の営業を終えたので
今日は、先日イタリアを代表するジャズテナーの
Max Ionata氏のワークショップでお世話になった
マーマデュークミュージックへお邪魔した。

ワークショップの際は大盛況だった為、
なかなかゆっくり商品をチェックできなかったので
是非、このジャズサックスマニアの心をくすぐりまくる
『秘密基地』をしっかり探索したかったのである。

私自身のマウスピースやリードなどのアクセサリーの
物色もあったが、それ以上に、私がレッスンをしている
受講者の方のアクササリーや楽器の悩みもあったのだ。
というかそれが一番大きかったのだ。

というのも、解る人は解ると思うが、
近年のサックスやそのアクセサリー関連のメーカーの
複雑化というか群雄割拠の有様は甚だしく、
質の低下や、価格の高騰で以前のようにお客様に安心して
『これなら間違いないですよ』と販売できるものが
残念ながら少なくなってしまったのだ。

マウスピースにしても、敢えて名前は出さないが
アルトはコレ。テナーはコレ。という定番があった。
だがそれらは年々価格が高騰し、ここ数年で
倍近くの値上がりを見せているものもある。
昔は当教室で会員割引して1万円弱ほどで販売出来ていたものが
今は2万円弱という高騰ぶりだ。

インフレを期待するのもわかるが、
上げるのは高級品だけにして欲しいものだ。

また逆に、今やサックスも下手をすると
ネットで2~3万円で売っている時代である。
ウチの入会者の中にも『ネットで2万円でした』と
買ってきてしまう方もいる。

本人は『いい買い物をした』と思っているので
『コレはひどい』とはなかなか言いづらいものであるが、
いずれわかることなので2万円のサックスがどんなものか
正直に話さなければならない。
『音が出ないのは貴方のせいではなく楽器のせいですよ』と。

初心者ほど良い楽器を使ってもらいたい。
良い楽器は拭き方を『ここがツボですよ』教えてくれるからだ。
変な楽器を使ってしまうとなかなかコツがつかめない。
私が吹いても吹きにくい楽器を初心者がコントロールできるはずも無い。
でも初心者はそんな事自体、当然だが知らないのだ。

なので、私は『安価な中国製は買ってはいけない』とずっと主張してきた。
サックスに関しては台湾製はOKだ。全てとは言わないが質は良いものが多い。
私が10年以上おススメしてきたグローバル社の『IO』は
台湾製だが素晴らしいものだった。

9年ほど前にIOとアメセルMarkⅥのブラインドテスト、つまり
音源だけでどれがアメセルMarkⅥかを当てるクイズをやったが
正解者はたった1人だけだった。
まさにIOはそのキャッチフレーズであった
『銘器が嫉妬する』にふさわしいモデルであった。
私もアメセルMarkⅥのテナーとセルマーシリーズⅡのソプラノを売って
IOに買い換えたほどだった。

その銘器IOも残念ながら製造終了となり、
今後、私の受講生にどの楽器を薦めるかが差し迫った悩みであったのだ。

勿論、高額であればよい楽器はあるだろう。
しかしIOはなんと20万円台ですばらしいコストパフォーマンスであった。
他のメーカーの30~40万円代のものに迫る質の高さだったのだ。
IOブラックニッケルモデルの音源→http://a-muse.seesaa.net/article/21434577.html

昨今、昔と違いサックスに40万円を出せる人は少なくなったであろう。
しかもウチは分割が出来ない一括払いであるから20万円くらいが限度だ。
皆様のボーナスや貯金を無駄にしないためにも
コスパの良い楽器を探さねばならなくなったのだ。

前置きが大変長くなったので結論から言うと
今日のマーマデュークへの訪問は素晴らしい収穫であった。
お世辞でもなんでもない。ここにお世辞を書いたところで
受講生にはバレバレなのでそんなことは書けない。

今後の楽器、マウスピース、リード、ストラップなど
悩みは全て『驚きと大満足』のうちに解決したのだ。
世界の名だたるプレイヤーがマーマデュークを絶賛するのも当然だ。

驚きの1つはマーマデューク代表であり、
自身がマウスピース職人である宮武氏の確かな技術と豊富な知識である。

昨今マウスピースの世界もハンドメイドの群雄割拠である。
2011年、私は脳卒中でサックスが吹けなくなった。
当時はメインはフロリダリンクの10番相当にリードはダニエルの3半
という強気なセッティングで吹いていた。
当然後遺症で話す事も困難な私にそんなセッティングで音が出るわけが無い。
ろれつも回らず、喉も舌もコントロールできない状態であった。

ソプラノを吹くまでに半年、アルトに1年、テナーに2年以上かかった。
その際、国内外の多くのハンドメイドマウスピースを10個以上試したが、
唯一音が出たのはマーマデュークのみであった。

一般に効率を追求すると音色は物足りなくなる。
ジャズで重要な雑味も減るからだ。
雑味を求めると、コントロールや効率が悪くなる。
これがマウスピースのジレンマだ。

マーマデュークはこの難題をクリアしている。
ありがちな『このマウスピースの音』みたいに
マウスピースの個性で売らんとするのでなく、
『このポテンシャルなら貴方の好きなサウンドを作れますよ』
という飽きない懐の深い、奏者が育てるマウスピースなのだ。

価格帯もアルトで1万円ほどのものもあって、
それも充分、受講生に薦められるクオリティであった。

テナーのメタルではキラーマウスピースがあった。
これは3分以上吹くと買ってしまうと直感したので
私は10秒で吹くのを止めた(笑)『ヤバイ奴』だった。
これ→https://www.youtube.com/watch?v=s-KwtTUJlmU

さらにもう1つの驚きは中国製の楽器のクオリティだ。
いずれ中国製も台湾製にその品質が追いつくであろうとは
思っていたが、もうそれは起こっていたのだ。
ただ、中国製の全てではない。
勿論、良いメーカーとそうでないものが混在している。
宮武氏は独自のルートで部品から組み上げ、
検品などに細心の注意を払い、
『中国製=粗悪品』というイメージに革命を起こさんとしている。
本日、マーマデュークの低価格帯とその上の価格帯の両方を
試奏させていただいたのだが、コスパは全く問題ない。
『これが中国製か?』と思うほどで、
私の固定観念を改めざるを得なかった。
勿論、品質の安定と言う課題は今後も残るのだろうが、
『ここまで出来る技術があるのか!』と驚いた。
因みにマーマデュークの店舗は来年2月には今の神保町から
聖地『大久保』に移転されるそうだが、
私としては八王子からのアクセスが良くなるのでうれしい事だ。

いずれ楽器もマウスピースも試奏音源の動画でもアップしたい所だが
私はまだ左手が麻痺しているのでバラバラかっこよく吹けないから(笑)
なにかバラードでも吹こうかな(笑)来年にご期待!














昨晩は初めてのコーラスのレッスンをさせて頂いたのだが、
まず、感銘を受けたのはメンバーの意識でした。
本当に真剣で、その眼差しにこちらがウルウルと来てしまうくらい。
私は発声やボイトレなどはズブの素人なので、そっちの方は、
専門の講師にサポート、指示を頂戴しながらやりました。
曲が結構難しい曲だったので私がやった事は
Step1 スコア、アレンジの解説
Step2 各自の【基準】の統一
Step3 オリジナリティを見出すお手伝い
でした。

モチベーションと熱意は素晴らしいので
スポンジが水を吸うが如く、
摩擦ゼロで吸収していきます。すごいですね。

『スコア、アレンジの解説』は
初心者が多い事と、楽器ではなくコーラスと言う事で、
音楽用語、記号自体に疎いという点を改善いたしました。
また、スコアという設計図が有機的に作用して
サウンドしていると言う事をボンヤリでなく
はっきり耳で理解して頂きました。
これらは『理解』なので一瞬で済む作業です。

次の『各自の【基準】の統一』は
例えば全員の『スタッカート』のデフォルトのサイズ感、
質感、音色を合わせるという作業になります。
Aさんは『タッ』Bさんは『タンッ』Cさんは『トゥッ』ってのを
『基本、デフォルトはコレにしましょ』と決めます。
そうしないと『もっと丸く軽やかに』と支持しても
バラバラにずれるだけなので(笑)
コレを『テヌート』や『mp、mf、f、ff』など
必要な要素のニュアンスを全部合わせていきます。
これは多少厄介です。それぞれの脳みそにある
データベース(情報量)がバラバラですから。
歌謡曲しか聴いた事が無い人の『>(アクセント)』と
クラシックやジャズなど幅広い音楽を聴いてきた人のそれを
合わせる微調整は困難です。しかも頭にイメージできても
『発声、奏法』ではどうすればいいか?は
感覚で出来ちゃう人とボイトレの先生にやり方を教わらないと
出来ない人もいます。
この様な事はコーラスであろうがビッグバンドであろうが、
吹奏楽であろうが、オーケストラであろうが、
アマチュアであればみな同じ障壁があるのではないでしょうか?

そして三つ目の
『オリジナリティを見出すお手伝い』はもっと大変ですが
楽しく有意義な作業です。
そのメンバーでしか出来ない仕掛け、仕込み、サウンドを
探していく作業です。

これは大きく分けてセールスポイントを強調する作業と
ウィークポイントをカバーする作業があります。
熟練者やプロ相手のディレクションは簡単です。
指示を出すだけでできますから。

初心者、アマチュアはそう簡単にはいきません。
普通は全員が同じレベルになるように成長を促すやり方を
取るのでしょうが、私はそうしません(笑)
初心者はそんな急に上手くならないのが現実ですから、
(その人を特訓するという手もありますが)
またアマチュアでもプロには無い素晴らしい瞬間が必ずあるはずです。
そこにスポットを当てる方法もあります。
幕の内弁当のおかずが全部美味しくなくても良いではないか。
どこぞの弁当のシューマイと竹の子の煮付けが好きだけど
アンズは要らないと言う人もいるし、あれが良いのだと言う人もいます。
音楽の評価は人それぞれ。
同じ演奏を聴いて『雑だ』と思う人もいれば
『人間らしくてよろしい』と言う人もいます。
『雑』を数ミリある方向に傾けて『人間味溢れる音楽』にできたら…。
いいじゃないですか(笑)
私はそういうことをします。
全部キレイに整えて型にはめ込んだらmidiで打ち込んだ方が
パーフェクトな演奏が出来ますよ。苦労なく。
人間が音楽を作ると言うことは
『不完全な人同士』がお互いに理解し、認め合って
協力して、知恵を出して少しでも良いものを作る事だと思っています。
社会もそうではないでしょうか?
私は昨日の練習の最後にコーラスメンバーに
『歌が上手くなる事も大事ですが、このメンバーでなくては出来ないサウンドを
みんなで作る楽しさと喜びを財産としましょう』
と言い残して来ました。
Dream Voiceに幸あれ!













イタリアジャズ界ではもはや、トップミュージシャンとしての
地位を確立しているMax Ionatas氏のワークショップが
神保町のマーマデュークミュージックに於いて開催された。

私は一昨日のMaxの来日の歓迎の食事会に
光栄にもマーマデュークの宮武氏にお誘い頂き、
憧れのミュージシャンとの距離が縮まる至福のディナーとなった。
本日のワークショップもそれに続き、ご招待頂いての参加であった。

13:55の開催予定時間の前にすでに会場には参加者が押し寄せていた。
参加者がそろい、会場が手狭になってきたため、
各自楽器を出してケースは店の階段にと言う事になった。
私は今回は楽器を持参せず『聴講のみ』と言う形で参加したのだが、
本当にその選択は正しかった。
参加者の楽器はぶっ飛んでしまう銘器ばかりである。
私の20万そこそこの愛器を持っていったら果たして
何と言われるか想像すらしたくない(笑)


ワークショップの始まりはMaxのデモ演奏からだった。
Maxがリクエストを聞くと参加者から『But Not For Me』との声が上がり、
MaxはOKした。(サポートにベーシストが来ていたが名前は失念した)

彼のソロは『今日はどんな内容を話そうかな?』
と楽しそうに考えているようなソロであった。

最初はシンプルなコードシーケンスからコードを余裕をもって捉え、
短いモチーフを空気中にホーンで軽く放り投げると、
眉毛を上げながらベルでそれをキャッチして
リズムをトレースしたり加工したりしながら、また宙に解き放つ。
まるでサッカーのリフティングでも楽しんでいるかのようなプレイであった。

しかし回数を重ねるごとにそのフレーズは複雑化し、
コードシーケンスからモダンジャズの王道LICKへ、
その後にはモーダルなアプローチから
80年代のスティーブ・グロスマンのペンタトニックのアプローチ、
マイケル・ブレッカーのような90年代のコンテンポラリーなフレーズや
そして2000年以後のヘキサトニックやペアトライアド的な抽象的な
アプローチでのイン&アウト。
まさにこれだけメニューありますけど何にしましょう?的な演奏であった。
贅沢な演奏が終わるとMaxは何を話そうか?と聞いたのだが、
参加者からもこれと言ったリクエストがとっさには返ってこなかったので、
彼の方から
『皆さんはCメジャーの時にどんな音をプレイするかわかるかな?』
と質問した。

ある方が
『アボイドノートがFだという事は知っています。』
と発言した。

私より若いミュージシャンに見受けられたが
『アボイドノート』なんて伝統的で真面目な概念を待つ人が
若手にもいるのだなぁと少々驚いた。

その質問が吉と出てワークショップの前半のテーマは
まさに4度を抜いた『ペンタトニックアプローチ』となった(笑)。

有料のワークショップだったのでこの詳細は
ここで紹介することはできないが、大体は
バーガンジのそれとほぼ同じ内容だと言ってよいと思う。

素晴らしかったのは全員で8バースを回して体感させたという事だ。
理論だけではいけない。サウンドは経験し、味わって初めて血となり、肉となるのだ。
また、すぐに他人のアプローチを聴くのも良い事だ。
脳が新鮮な刺激を受けている内に発想が何倍にも膨らむからだ。

レクチャーは様々なコードへのペンタトニックアプローチについてと発展し、
一通り、実技を交えて解説し終わるとMaxは発展系として
多少アウトしたサウンドのペンアットニックやペンタトニック以外のフレーズの
運用をしてみせた。

冒頭のBut Not~のソロ後半部分のアプローチである。
Maxはこれらを自由に用いて『House』に帰れば良いと言っていた。
用はトニックに解決した時(など)にインサイドに戻ればよいというわけだ。
私はMaxがどのようにアウトするのか興味があったので質問させて頂いた。

と言うのも学生時代グロスマンやブレッカーをコピーしていて
グロスマンやジミヘンはペンタトニックのイン&アウトの遠近法
(つまりスケール(調性)の音がペンタトニックにどれだけ共通音が見受けられるか?
インサイドは5/5アウトサイドは0/5であるので12種類ペンタの距離が解る。)
を感覚的に耳でやっているように思えたのだ。
逆にトレーンやマイケルは計算してやっているように思えたのだ。

果たしてMaxは?
彼はFeeling&Hearingと言っていた。
良かった思った通りだった。私の好きなタイプである。
彼は感覚派だった。

その他にも沢山のレクチャーがあったが、
私が次にうれしかったことは
Maxが『Training Brain』と『Playing Brain』の話の時に
All The Things You Areでコードシーケンスを半コーラスやった後に
『Space!』と言ってしばらくなにも吹かない状況を作り、
『音をできるだけ減らすのだ』と言ってフレーズを減らしていった。
これはまさに私が昨日自分のワークショップでやった
コードシーケンスと『高倉健的アプローチ』と全く同じであった。
この瞬間、『私の教え方は正しかったのだ』
と心の中でガッツポーズを取ったのは言うまでもない。

後はMaxが『シークレット』と言っていたので秘密に致します(笑)
どうしても聞きたい人は直接私に聞いてくださいな(笑)














先日、サクラヤジャズクラブで
ワークショップを担当させて頂いて、
自分の中で課題が出来ました。

まだこのワークショップをキッカケに
『初めてアドリブが出来た』という方が
何人もいらっしゃるのですが、

特に先日は本当に気持ちよさそうに、
幸せそうにアドリブをなさっているのです。

『アドリブなんてとんでもない今日は見るだけで』
と初めは遠慮なさっていた方々が、

目をつぶって音楽に浸りきり、
まるで陶酔するかのようにアドリブに夢中になって、
終った頃には頬を紅潮させ

『今日は本当に楽しかったです!』
と仰った。

こういう『音楽の素晴らしさ』を純粋に感じている人たちに、
私はこれから
『ダイアトニックコードとは』とか
『ドミナントモーションとは』とか
小難しい理論なるものを
教えていかねばならないのだろうか?

アドリブという自由を謳歌している人々へ
『ルール』や『規制』を
強いなければならないのだろうか?

参加者が満足そうに演奏している姿を見ながら
私は秘かに悩んでおりました。

セロニアス・モンクは言いました。
『Jazz and Freedom go hand in hand.』
ジャズと自由は同義です。

演奏に於ける自由とは?
そもそも『自由』とは?

ルールが少ない事?

ルソーは
『人間は生まれながらにして自由』
と言い、
ヘーゲルは
『世界史とは自由の意識が前進していく過程』
と言いました。
なんかよく解りません(笑)。

英語の『Freedom』とは
『大らか』とか『わがまま』のような
能動的ニュアンスがありますが
『Liberty』は
『制約、制限が無い』という受動的意味合いです。

モンクに戻ります。
サクラヤのワークショップでも触れたのですが、
アメリカの公民権運動にジャズやブルースは
少なからず影響を与えました。
キング牧師の運動を黒人ミュージシャンは支援しました。
彼らこそ、常に音楽と言うフィールドで
自由を標榜し、日々戦っている人たちだったからです。

インプロヴィゼイションに於ける自由とは何か?
コード進行の縛りが無い事?
その行き着く先は『フリージャズ』です。
ジャズのメインストリームではありません。

では現代のジャズの第一線は何を志向しているのでしょう?
先日、来日して素晴らしい演奏を聴かせてくれた、
現代ジャズの巨匠、ハービー・ハンコックと
ウェイン・ショーターの演奏は所謂『フリージャズ』でしょうか?
違います。
彼らの演奏はコードもリズムも非常に複雑で
楽曲の難度も演奏クオリティも極めて高度ですが、
信じられないほど『自由』なものです。

彼らが教えてくれている『自由』とは何でしょうか?
それは如何なる局面、境遇に於いても、
自らの英知と技術を駆使して、
自分の信じた音を表現し、指標を示し、
共演者の共感と理解を獲得し、その世界を創造していく事です。
そしてその音楽は聴衆をも巻き込んで
共に新しい音楽、世界観、ビジョンを共有します。
彼らにとって自由とは創造の源泉であり、
創造過程のスタイル、メソッドでもあります。

ゆえに演奏に於ける真の自由とは、
『英知と技術によって自らが獲得するものだ』
と言えるのでしょう。
公民権運動がそうであったように。

さらに時にはルールより大事なものが有るのなら
ルールは二の次で良い事もあるかもしれません。
音楽には好き嫌いはあっても正解が無いのです。

モンクのように自分の表現したい音が、
ピアノという規制や当時の音楽理論に縛られて
表現できないのであれば
半音隣り合った音を同時に『不協和音』として
弾いてしまうという挑戦もするべきなのです。

子供は初めから文法通りの言葉は話せないかもしれません。
でも、初めから文法の正確さを要求したら、
失敗を恐れて話さなくなってしまうかもしれません。
クラシック出身の人がなかなかアドリブの一歩を
踏み出せないのは完璧さを意識しすぎ、
ミスを恥と思うように洗脳されているからです。

ジャズと言う新しい言語をマスターする為には
初めはルールを緩くして、何が言いたいのかを明確にして
極力単純に考えて、自由に表現させるのが第一段階でしょう。
次の段階は、十把一絡げの画一的な理論や手法を強制するのでなく、
その人その人の音楽観、世界観に合った理論、アプローチを見極め、
それを順序良く提供、提案していく事が、
その人の『スタイル』を構築する良き選択、早道となるのだと思います。

誰もが同じフレーズ集を覚えたらクローンロボットです。
『For You』の数だけのメソッドが必要です。
ワークショップを終え、そのような結論に達したので、
また新しい教本を書いてみたいと思います。
これは今までの日本には無いタイプのモノになると思います。 
乞うご期待!

                                                             


 

このブログでも何度か取り上げていますが、
私は『お笑い』が大好きです。
単に笑いたい、という気持ちもありますが、
『知的好奇心』が刺激されるので好きなのです。
音楽とお笑いは似ています。
どちらも人の想像力を掻き立て、楽しませるからです。

先日、ネットでビートたけしさんが
『唯一、負けを認めた芸人』
と言う事で『明石家さんま』さんの名前を挙げていました。
その理由にたけしさんは
『あのアドリブには勝てない、オレがツッコミに回るしかなかった。』
『人のミスも、自分のミスも、笑いに変えてしまう。』
と告白しておりました。
まさにさんまさんは『お笑いファンタジスタ』なのですね。

そもそもたけしさんとさんまさんは実は
『オレたちひょうきん族』が初共演だったそうです。

『オレたちひょうきん族』は当時最高視聴率50%を記録したTBSの「お化け番組」、
ドリフの『8時だョ!全員集合』を超えるものを
とフジテレビがあえて視聴率ノルマを廃し、
『制作者が作りたいものを作る』と大胆な路線変更をして出来た番組でした。

たけしさんの証言によれば、
『ドリフは入念にリハーサルされたコントを生で見せるもの。』だったので
『オレたちは真逆をやった。コントのほとんどはアドリブだった。』そうです。

そこでさんまさんの絶妙に繰り出されるアドリブに対し、
本来は『ボケ』であったはずのたけしさんが
『バカヤロウ!』と『ツッコミ』に回るしかなかったワケです。

さんまさんもすごいですが、
それを瞬時に『ツッコミ』に切り替わって
笑いを完成させたたけしさんもすごいですね。

そのたけしさんも負けを認めた『お笑いモンスター』のさんまさんと
11年半もアドリブトークを続けた人がいます。

そう。タモリさんです。
タモリさんの『笑っていいとも』でこの二人は
「タモリ・さんまの雑談コーナー」
→「タモリ・さんまの日本一の最低男」
→「タモリ・さんまの日本一のサイテー男」
→「さんま・タモリの喋っちゃいまホー」
→「さんま・タモリの笑いごっちゃおまへんで」
→「続・笑いごっちゃおまへんで」
→「さんま・タモリのおいしいんだかだぁ〜!!」
→「タモリ・さんまのんなアホな!」
→「タモリ・さんまのなんちゅうこというの!」
→「タモリ・さんまの狼がきたぞ〜!」
→「タモリ・さんまの日本一のホラ吹き野郎!」
→「タモリ・さんまの何はともあれ」
→「タモリ・さんまのもう大人なんだから」
→「タモリ・さんまのもう大人なんだからネ」
→「タモリ・さんまのもっともっとしゃべらせてよ!!」
とコーナータイトルを変えながらも11年半も
アドリブトークを続けていました。

このコーナーは全くの雑談のような内容で、
タモリさんの『最近どぉ?』などという
『仕込みネタゼロ』のところから始まる即興です。

たけしさんをツッコミに回らせたボケのファンタジスタ、
さんまさんに対してタモリさんは
『髪切った?』とか『オシャレなシャツだね』とか
『疲れてない?』といういかにも日常の雑談的な
ネタを『フリ』ます。

この『当たり前な日常』の『フリ』を
さんまさんが話を盛りに盛って、非日常の『ボケ』にまで発展させ、
タモリさんが『んなワケない。』と『ツッコミ』を入れて
日常に下げる(オチをつける)のか?

これがこのトークの見所だったわけです。
二人の日常ネタのよるコール&レスポンスでオチにいたるので
まるでブルースのようです。

そういう意味で私は
さんまさんとタモリさんのトークを
ブルースセッションを聴くような気持ちで
ワクワク見ていたように思います。

このようにお笑いのスタイルは時代と共に、
ガッチリ台本通りのコント(ドリフ)から
ゆるい台本からのアドリブコント(ひょうきん族)に移行し、
オールアドリブのフリートーク(いいとも)で
頂点を極めたように思えますが、
ダウンタウンはこのスタイルにさらに『縛り』を加えます。

そうです。『ガキの使い』のハガキによるフリートークです。
ここでは、いいともでタモリさんがやっていた『フリ』が、
視聴者ハガキからの『無茶ブリ』へとハードルが上がります。
『上がった』分だけ『下げ(オチ)』への落差があり、
笑いも大きくなるのですが、リスクも当然高くなります。

制約されたフリなので毎回が大喜利のようです。
この『ガキ使い』のトークは
いいともの生のフリートークと、
昭和の爆笑王萩本欽一さんが『欽ドン!』で用いた
『視聴者からのハガキ』からのアドリブコントの手法をミックスしたスタイルです。
アドリブコントはダウンタウンはすでに『ごっつ』で実験済みでしたので
『視聴者からのハガキ』からのアドリブトークにしたのでしょう。

毎回、視聴者ハガキからは
『昔、松本さんは全速力の新幹線に飛び乗ったと聞きましたが~』
というようなありえない『フリ』があるのですが、
松本氏はその『非日常』の縛り(緊張)をそのまま受け入れ、
さもそれが『日常(既知)』であるかのように振舞いつつ、
いつの間にか、聴く人をカフカのような『非日常』の世界へと誘い、
そこでもう1つ、エピソードや山場を作って、緊張を高め、
浜田氏のツッコミによって一気に『日常』へと『オチ』るという
高度な手法を常に成し遂げていました。

この、日常→非日常→日常が
緩和→緊張→緩和という『笑い』のメカニズムなのですが、
私はこれがジャズの演奏に似ているように思います。

ジャズの演奏は通常、
テーマ→アドリブ→テーマというフォーマットで演奏されます。
テーマはスタンダードであれば既知です。
アドリブは未知です。
既知→未知→既知。

お笑いもジャズも
日常から非日常への冒険、転換で
未知によるドキドキワクワク感、緊張感が高まり、
最終的にテーマ(日常、既知)への回帰の安堵感へと
解決する現象です。


いいとものさんまさんとタモリさんのフリートークが
ブルースセッションだとすると、
ダウンタウンのフリートークは
無茶ブリジャムセッションかもしれません。
なのでダウンタウンの方がリスクが高い分だけ
ドキドキ、ハラハラとスリルがあるのです。

松本氏がフリートークのスキルを磨くために
毎日欠かさず『落語』を聴くと言っておりました。
体に笑いのフォーマットを叩き込んでいるのだと思います。

ジャズプレイヤーもジャズの名演だけでなく、
クラシック音楽や映画や、演劇にも触れるべきだと
痛感しております。






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